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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)113号 判決 1993年2月10日

原告

リンテック株式会社

被告

特許庁長官 麻生渡

主文

特許庁が、昭和62年審判第8485号事件について、平成2年3月1日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた判決

一  原告

主文と同旨。

二  被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者間に争いのない事実

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和57年11月5日、名称を「クリーンペーパーおよびその製造法」とする発明につき特許出願をした(昭和57年特許願第194459号)が、昭和62年2月26日に拒絶査定がされたので、これに対し、審判の請求をした。

特許庁は、同請求を昭和62年審判第8485号として審理した上、平成2年3月1日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年4月25日、原告に送達された。

二  本願発明の要旨

別紙審決書写し記載のとおりである。

三  審決の理由

審決は、別紙審決書写し記載のとおり、本願出願前に日本国内で頒布された特公昭51-36367号公報(以下「引用例」という。)の記載を引用し、本願の特許請求の範囲第1項の発明(以下「本願発明」という。)は、引用例に基づいて、当業者が容易に発明することができたものと認められるから、特許を受けることができないと判断し、本願は拒絶されるべきであるとした。

第三原告主張の審決取消事由

審決の理由中、本願の発明の要旨及び引用例の開示事項の各認定は認める。

しかしながら、審決は、以下のとおり、本願発明と引用例発明の一致点の認定を誤り(取消事由1)、また、本願発明と引用例発明との相違点認定において、本願発明の用途発明としての意義について判断することなく、単に構成ないし製造法の観点のみから両発明の検討を行った結果、重要な相違点の認定を誤り(取消事由2)、本願発明の顕著な作用効果を無視して本願発明の進歩性につき、誤った判断をした(取消事由3)違法があるから、取り消されるべきである。

一  取消事由1(一致点認定の誤り)

審決は、引用例発明と本願発明とは、「天然パルプと溶剤系樹脂からなるバインダー樹脂とから実質的に構成され、填料を含まない紙である点で一致」すると認定した。

しかしながら、本願発明が無塵性を達成するための必須の構成として、特許請求の範囲に「実質的に填料を含まない」クリーンペーパーであることを明記しているのに対し、引用例には、「本件発明において使用する基体としては・・・一般上質紙で充分目的が達成される。」との記載があり、上質紙が一般に填料を含むことは明白であるから、引用例発明は、填料を含むことを予定しており、少なくともこれを有害なものとして排除してはいない。

審決は、両発明の一致点でない点を一致点と誤った認定をした。

2 取消事由2(相違点認定の誤り)

(1)  技術的課題の相違の看過

本願発明の技術的課題は、クリーンルーム内での使用に耐えうる無塵性を具備し、かつ、無塵性を維持しつつ不透明性、筆記特性等を犠牲にしない紙を提供することにある。

これに対し、引用例発明は、紙に透明性を付与しつつ、物理的強度を維持すること等を主要な技術的課題としており、無塵性の具備を発明の課題とはしていない。

審決は、かかる両発明の技術的課題の相違を看過した。

(2)  構成の相違の看過

本願発明は、上記技術的課題を達成するため、特許請求の範囲の記載に、クリーンペーパーとしての用途及び同用途の実現のため、「実質的に填料を含まない」ことを構成として明記した点に特徴を有し、引用例発明とはクリーンペーパーとしての用途を構成要件とするか否かの点において発明の構成に大きな相違がある。

しかるに、審決は、引用例発明の透明紙と本願発明のクリーンペーパーとの相違点を「ただ紙のパルプの間隙を埋めるに十分な量のバインダー樹脂が含浸埋設されているか否かの問題」であるとし、両者の相違を物質的組成の面からしか捉えようとしなかった。

しかしながら、本願発明は、上記のとおり、それまで発塵性のゆえにクリーンペーパーとしては用いることができないと認識されていた天然パルプを用いた含浸紙を、「クリーンペーパーとして」使用するという特別な「用途」に着眼し、これを発明の構成要件とした点にその特徴があり、引用例発明との相違点も、まさにこの点に求められなければならない。

そして、クリーンペーパーとは、クリーンルームすなわち半導体、電子部品、精密機械等の製品の歩留りや品質向上を図るうえで、製造工程等において、微細な塵その他の不純物をできるだけ減少させる必要のある室で用いられる紙を意味し、半導体産業において用いられるためには、0.3~0.5μというレベルでの塵の発生を防止するところに用途の特殊性がある。

被告は、本願出願前から、いわゆるクリンペーパーはよく知られていたと主張し、乙第1、2号証を提出しているが、これらは肉眼でも確認できる程度の大きさの紙粉を問題としており、およそ、塵の発生防止を課題とする紙を一まとめにしてクリーンペーパーと認識する被告の主張は、クリーンペーパーないしクリーンルームに対する高度の無塵性の要請を無視したものである。

本願発明は、上記のとおり、極端なまでに発塵防止の要請が高い点で他の発塵防止を目的とする紙とは一線を画しており、極めて特殊な用途を有する紙として特許請求されていることを考慮すべきであるのに、審決は、本願発明と引用例発明とのかかる構成上の相違点を看過した。

3 取消事由3(進歩性についての判断の誤り)

(1)  本願出願時においては、天然パルプを用いた含浸紙をクリーンペーパーとして使用することは、その発塵性ゆえに、技術常識に反する特異な発想であった。天然パルプを用いた紙が塵を発生することは、現在でも当業者の常識であり、このことは、特開昭64-56436号公報の記載にあるとおり、本願出願後5年を経過してもなお、合成樹脂を含浸した天然パルプ原紙による低発塵性保護シート等が特許性を有するとの当業者の認識からも明らかである。

また、引用例の出願人は、引用例の実施製品である「エスケートレスHC」を透明紙として販売するに当たり、発塵性の面のみからいえば、クリーンペーパーしての用途に耐えうる引用例記載の基紙に、筆記性を良くするため、わざわざ塵を生ずる表面処理を施して商品化しており、このことからみても、本願出願時において、引用例の透明紙から無塵紙を想到することは極めて困難であったことは明白である。

しかるに、審決は、本願出願当時の技術水準判断を誤った結果、「本願発明の紙としてクリーンペーパーと特定したことに特別の意味があると認められず」として、本願発明の進歩性を否定した。

(2)  本願発明は、従来の合成紙製のクリーンペーパーに替えて、天然パルプとバインダー樹脂からなる含浸紙をクリーンペーパーに転用したものであり、これにより従来の合成紙製クリーンペーパーが有していた種々の欠点を克服したという顕著な作用効果を有する。すなわち、

① 従来の合成紙製クリーンペーパーは、耐熱性に欠け、高温により溶けてしまうため、PPC(転写式複写機)における使用特性が悪く、コピー用紙として用いることはできなかったが、本願発明は、天然パルプを使用したことにより、かかる問題を解決した。

② 従来の合成紙製クリーンペーパーでは、合成紙そのものは透明であるから、筆記又は読み取りのため、若干の填料を混入させて不透明性を付与していたが、そうすると、填料が発塵源となってしまい、低発塵性か不透明性かのいずれかを犠牲にしなければならなかった。本願発明は、天然パルプを用い、実質的に填料を含まないから、バインダー樹脂の量を適宜調整するだけで不透明性を獲得することができ、無塵性と不透明性の両立を可能とした。

③ 従来の合成紙性クリーンペーパーは、表面が平坦で通気性がなく、筆記特性にも難点があった。すなわちインキの粒子が紙の内部に入り込まないため、インキの乾燥が悪く、筆記後紙の表面の摩擦により、インキの粒子が脱落してしまう欠点があった。本願発明は、天然パルプを用いているため、インキの粒子がパルプ内に浸透し、そのような問題を生じない。

本願発明の作用効果が顕著であることは、本願発明の実施品である原告製品が市場において商業的成功を収めていることからも明白である。すなわち、特定電気会社のクリーンルームの維持管理特別チームは、評価の結果、原告製品を採用し、また、既に同業他社の多くは、本願出願との抵触を回避するため、天然パルプを用いた含浸紙であるクリーンペーパーを製造するに当たり、あえて発塵性の点で品質の劣化をもたらす填料を混入して製造している。

このような事実は、本願発明の構成による作用効果が本願出願当時の当業者の予測を超えるものであることを示すものであり、本願発明には進歩性が認められるべきである。

被告は、無塵性は、引用例の含浸紙の有する特性の一つにすぎないと主張するが、本願発明の特徴は、含浸紙の無塵性という特性が不透明性と両立することを見出し、これをクリーンルーム内で使用することに着眼し、かつ、その作用効果の顕著性を確認した点にあり、特許権を付与して保護するに足りる用途発明というべきである。

審決は、このような本願発明の顕著な作用効果を無視し、進歩性につき、誤った判断をした。

第4被告の主張

以下のとおり、審決の認定・判断は相当であり、原告の主張は理由がない。

1  取消事由1について

本願発明の紙が実質的に填料を含まないことは認める。一方、引用例には、基紙として、一般上質紙で充分目的が達成されるとの記載があるが、「上質紙」といっても、良質の晒化学パルプを抄いた紙や、楮、三叉、雁皮などのパルプを抄いた紙は、上質紙に含まれるから、無填料の原紙を指すものということができる。仮に、一般上質紙が洋紙としての非塗被紙等、印刷を目的とするものを指し、若干の填料を含むものであるとしても、引用例の記載は、後記のとおり、あくまでも、引用例発明が本来意図する原紙としてではなく、若干の填料が含まれている既成の原紙であっても、実害を及ぼさない程度のものであれば用いることができる、という趣旨の記載として解釈すべきである。

すなわち、引用例の実施例には、NBKP(針葉樹のクラフトパルプ)、LBKP(広葉樹のクラフトパルプ)等からなる化学パルプを抄造した紙を原料として用いるものが記載されているが、その際、填料を添加する旨の記載はない。

もともと、填料は、紙に不透明性(白色度)、稠密性、平滑性等を付与するために用いられるから、これを抄き込んだ場合、紙の不透明性は消失し、その後に合成樹脂を含浸しても透明度は減殺されるため、「透明紙」を製造する上において填料を添加することは、害にこそなれ益することのないものであって、当業者の行う筈がない事柄である。

したがって、引用例の原紙としては、その発明の目的からして填料を含まないものが望ましいことは明らかであって、審決が本願発明との対比において「実質的に填料を含まない」ことを一致点として認定したことに誤りはない。

2  取消事由2について

(1)  同(1)について

本願発明と引用例発明とが一部そのねらいと認識の点で異なることは認めるが、以下のとおり、実質上、両発明の技術的課題は異なるところがない。すなわち、本願発明も、引用例発明も、天然パルプからなる原紙にバインダー樹脂液を含浸させてなるものであるところ、バインダー樹脂液の含浸量を多くすれば、パルプ繊維間の空隙が充填されて「無塵性」が高まるとともに「透明性」も高くなり、反対に含浸量を少なくすれば、通気性や不透明性は高まるが、無塵性、透明性は低下するという関係にあることは欺界の常識である。

本願発明は、無塵性を主たる課題として、不透明性、PPC特性、筆記特性を改善した紙を得ることにあり、引用例発明は、紙に透明性を付与することを主たる課題として、筆記性、PPC特性を改善した紙を得ることにある。したがって両者はねらいとするところを異にするが、上記のとおり、無塵性と透明性とは、紙の特性において同一方向にある性向として密接な関係を有するから、本願発明は、引用例発明と構成を同じくする含浸紙により上記課題を達成したものである。もっとも、本願発明は、無塵性とともに不透明性をも課題としているから、二律背反の課題を追求するものといえるが、このことは、バインダー樹脂の含浸量の適宜の調整によって行いうる程度のことであって、両発明は、「透明性」、「不透明性」の程度が異なるだけで、実質上、技術的課題は同一である。

よって、審決の認定に誤りはない。

(2)  同(2)について

「クリーンペーパー」といい、「透明紙」といっても、「発塵性の少ない紙」、「透明性を有する紙」という紙の有する特性(属性)をいうのであって、「クリーンペーパー」という名称によって、必ずしもクリーンルームで用いる紙という用途の特定ができるものではなく、医療品、食料品の包装など、紙の特性に対する要求に応じて、各種の用途に用いることができる。

用途を限定した物の発明にあっては、用途範囲が明確に限定され、その他のものは含まないことが歴然としている場合にのみ、用途発明と認められるのであって、末尾にクリーンペーパーなる名称を付しても、上記のように他の用途にも用いることができるものにあっては、用途発明としての特定が不十分であり、発明として許されるべきでない。

本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、本願発明は、結局のところ、広く「天然パルプとバインダー樹脂とから実質的に構成され、実質的に填料を含まない紙」を特許請求の範囲とするものに帰着し、クリーンペーパーといっても、一定の規格内にあるもののみを指称し、又は製法について一定の枠が確立されているもののみに限定するものでもないから、この名称によって、原告が主張するように、0.3~0.5μ単位という極端なまでの無塵性を要求される紙だけを意味することにはならない。そして、上記(1)のとおり、本願発明の無塵性と引用例発明の透明性とは含浸紙において同一方向にある性向であるばかりでなく、原告も自認するとおり、引用例記載の透明紙(基紙であって、表面処理をしていないもの)もクリーンペーパーとしての使用が十分に可能であるというのであるから、引用例発明の紙は、まさにクリーンペーパーそのものであり、両発明は、同一の素材を用い、同一の構成を採用するものであり、透明性(不透明性)の点を除き、実質的に異なるところはないというべきである。

よって審決の認定に誤りはない。

3  取消事由3について

前記のとおり、本願発明のクリーンペーパーと引用例の透明紙とは共通の特性を有しており、適宜用途に応じて転用することができる。そして、引用例において「天然パルプの原紙にポリウレタンを含浸付着させた透明紙」が開示されており、天然パルプにバインダー樹脂を含浸させることによって、パルプ繊維が被包・結着される結果、無塵性に通じることは当業者に知られているから、当業者が引用例に開示された透明紙の構成及び諸特性をみれば、これを本願発明のようなクリーンペーパーに転用することは容易に想到しうることである。

そして、このようにして製造されたクリンーペーパーが原告主張のような効果を有することは、天然パルプにバインダー樹脂を含浸させた紙が有する当然の特性にすぎないから、これをもって本願発明の顕著な作用効果とすることはできない。

よって、審決の判断に誤りはない。

第5証拠

記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、当事者間に争いがない。)。

第6当裁判所の判断

1  取消事由2、3について

本願発明の紙と引用例発明の紙とが、天然パルプを原料とし、これにバインダー樹脂を含浸させることによって製造される点で共通すること、一方、本願発明の技術的課題が、無塵性を具備し、不透明性、筆記特性を犠牲にしないクリーンペーパーを提供することにあるのに対し、引用例発明の技術的課題が、透明度を維持しつつ、筆記性、印刷適性、寸法安定性、耐水性、物理的強度等の各種特性に優れた新規の透明紙を提供することにあり、両発明がそのねらいにおいて異なっていることは、当事者間に争いがない。

原告は、本願発明と引用例発明との相違点は、被告も自認する上記両発明のねらいの違いにあり、両発明の根本的な相違点は、本願発明が「クリーンペーパー」としての用途に着目し、その用途を構成要件とした用途発明である点に求められるべきであるとして、審決が引用例発明との比較検討を単なる物質的構成にのみ求めた違法を主張する。

(1)  そこで、本願明細書上、特許請求の範囲第1項(以下「特許請求の範囲」と略称する。)に記載された「クリーンペーパー」なる語句が、特定の用途を規定するものであるか否かを検討する。

本願発明の特許請求の範囲の記載をみると、天然パルプと一定の樹脂からなるバインダー樹脂とから実質的に構成され、実質的に填料を含まないとする記述に続き、「クリーンペーパー」とあるのみで、特許請求の範囲に記載された特定の構成ないし組成を有する紙を単に名称として「クリーンペーパー」と呼んだものであるか、特定の用途範囲が存在することを前提として、当該用途にのみ使用されるべき紙として用途規定したものかは、その記載自体からは一義的に明らかでない。

そこで、甲第2号証ないし第4号証によって認められる本願明細書の記載を検討すると、発明の詳細な説明中には、「近年発展がめざましいLSI、超LSIなどの半導体、カメラ、時計、航空機部品などの製造工場においては、じんあいが発生しないような作業環境が極めて重要である。このような要求に答えるものとして『クリーンルーム』が脚光を浴び、このクリーンルーム内で使用される図面や文書用の紙には、一般の紙にくらべて発塵が著しく少ないいわゆる『クリーンペーパー』が使用されている。」(甲第2号証190頁左上欄7~15行)、「現在クリーンペーパーとして使用されているものはプラスチックフィルムや不織布に限られている。」(同17~19行)、「本発明者はこのような欠点のないクリーンペーパーについて鋭意研究を行い、従来クリーンペーパーの素材としては不適当と考えられ、そのために使用されたことがない天然パルプを使用し、これをバインダー樹脂により結合することによってクリーン度(後に説明する)の高いすぐれたクリーンペーパーが得られることの知見を得て本発明を完成するに至った。」(同頁右上欄19行~左下欄6行)、「本発明は従来のクリーンペーパーにおいて不透明性を付与するために使用されていた填料に代えて、天然パルプを使用することを特徴とするものである。このため、本発明のクリーンペーパーは従来のものと異なり・・・」(同191頁左下欄5~9行)との各記載とともに、本願発明の説明と実施例の紹介があり、その効果に関して、特に、本願発明の実施例と市販のクリーンペーパーについて、「クリーン度は次のように測定されたものである。」として、「揉んだ時」、「こすった時」及び「引裂いて揉む」の3つの場合につき、0.3μ以上の粒子の総個数によりクリーン度を測定し(同18行~右下欄18行)、その測定値の比較検討結果(同192頁第1表、甲第3号証補正の内容12)が記載されていることが認められる。

これに加えて、甲第9号証の1ないし4、同11号証の1ないし3及び同19号証の1ないし5により認められる本願出願当時、既に、一般の紙は高塵発生源の一つとしてクリーンルーム内から除外され、これに替わるものとしてクリーンルーム内での使用に耐えうるような発塵性が著しく低い紙の需要は高く、このような紙は、一般の紙と区別され、「無塵紙」あるいは「クリーンペーパー」と呼ばれることが一般的に認識されていた事実に照らせば、本願明細書を見る当業者は、本願発明が、その用途をクリーンルーム内での使用に限定した発塵性の極端に低い紙につき特許請求したものと認識できるものと認められる。

以上の事実からすると、本願発明の特許請求の範囲にいう「クリーンペーパー」とは、このような用途に使用される紙のみが本願発明の対象であり、その技術的範囲はこのような用途に供される紙のみに及ぶことを規定するもの、すなわち本願発明の用途を規定する必須の構成要件としての意味を持つものと認めるのが相当である。

(2)  そこで、審決が、本願発明の出願を用途発明と認識し、その用途規定の意味について考慮を払っているか否かをみると、審決書写し5頁11行~6頁3行記載のとおり審決は、本願発明と引用例発明との相違点判断において、含浸処理するバインダー樹脂の構成、バインダー樹脂の含浸量の比較とこれにより推定される発塵性の比較に終始し、結論として、「それ故本願発明の紙としてクリーンペーパーと特定したことに特別な意味があるとは認められず引用例記載の発明のものも十分用い得ると推測される。」と断定しており、「クリーンペーパー」との用途の規定に意味があるとの立場に立つものとは解されない。

被告は、クリーンペーパーとしての用途は、無塵性という紙の有する特性に由来するものであり、この特性なくして用途を限定することは無意味であるから、結局のところ、この特性の由来する紙の物質的組成ないし構成の検討をもって十分であるとし、引用例発明における透明性と本願発明の無塵性とは技術液課題として同一方向にあって、その効果においても大差がない旨、また、用途発明が認められるためには、特定の用途範囲が明確である場合に限られる旨主張する。

なるほど、引用例の「一般に紙類を透明化する手段としては周知のように繊維素系繊維と類似した屈折率を有している物質を用いて紙層内の空隙を満たせばよいことが知られている。」(甲第5号証2欄28~31行)との記載及び乙第1、第2号証に記載されている紙粉防止手段の記載によれば、合成樹脂の塗被ないし含浸が紙の透明度を高める手段であるとともに、紙粉の落脱防止手段として用いられていることが認められる。

しかしながら、甲第5号証によれば、引用例発明は、「透明紙の製造方法」についての発明であり、その目的は、もっぱら、従来の透明紙の欠点を解消し、透明度を維持しつつ、筆記性、印刷適性、寸法安定性、耐水性、物理的強度等の各種特性の改良を図るものであって、樹脂の塗被又は含浸は、この目的を達成する手段としての意義しか与えられておらず、引用例の記載を詳細に検討しても、そこに紙の発塵性に着目し、その改善を図るために樹脂を含浸するとの技術思想ないし技術事項については何らの開示も示唆もないことが認められる。

そして、甲第9号証の1ないし4により認められる「最新紙加工便覧」中の「このようなクリーンルームの発展に伴い、クリーンルーム内で行われる各種作業のための副資材として、作業指図書・工程管理用紙・メモなどに使用される紙についても、発じん性の少ない、発じん対策をした紙“無じん紙”が要求されるようになった。当然一般の紙は高じん発生源の一つとしてクリーンルーム内から除外され、それに替わるものとして、当初はフィルムでラミネートした紙や、合成紙、スパンボンド紙だけがクリーンルーム内で使用された。」、「しかしこれらの合成紙やフィルムなどは耐熱性がなく、PPC適性に問題があり、また筆記適性(油性ペン・水性ペンの乾き)や印刷も紙と比較して劣り、しかも高価であるなどの点からこれら合成紙ベースのものに替わるものとして、昭和57年頃から市場に参入し出したのが、いわゆる合成樹脂含浸型の紙ベースの無じん紙である。」(同号証の2第979頁13~21行)との記載及び甲第6号証によって認められる公開特許公報(昭60-224898号)中の「近年、半導体関連産業、医薬品工業、食品工業などにおける作業環境の清浄化が進められており、それらのクリーンルーム内で使用すべき記録媒体としてチリの出ないいわゆる無塵紙の要求が高まって来ている。従来、この目的のためには木材パルプを使用しないポリオレフィン系またはポリスチレン系合成紙が使用されて来ているが、樹脂原料に起因する耐熱性不足のために、普通紙複写機(PPC)などによるトナー熱定着方式の複写用途には使用できないなどの欠点があった。」(同581頁右欄6~16行)、「本発明者は木材パルプを使用した無塵紙を提供することについて研究を行い・・・発塵性が合成紙ベースの無塵紙より改良された無塵紙を発明し、提案した。(特願昭59-24779号明細書参照)」「本発明は、同発明をさらに改良するものであり・・・」(同582頁左上欄3~11行)との記載によれば、本願発明の出願当時、ようやく天然パルプを原料とする樹脂含浸型の無塵紙が出回り始め、昭和59年ないし60年当時においても、このような構成による無塵紙に係る発明が出願されていたことが認められる。そして、本願発明の効果が無塵性の点において極めて優れていることは、甲第11号証の2、甲第19号証の1ないし5、同第20号証ないし第24号証により明らかであるから、本願発明の紙と引用例発明の紙とが、天然パルプを原料とし、これにバインダー樹脂を含浸させることによって製造される点で共通するものであり、合成樹脂の塗被ないし含浸が紙の透明度を高める手段であるとともに、紙粉の落脱防止手段として用いられているとしても、クリーンペーパーとしてその用途を限定した本願発明が、その出願当時、進歩性を有していたものとされる余地は十分に認められる。

(3)  被告は、本願発明の特許請求の範囲は、極めて広範であって、クリーンペーパーとの記載に用途の限定があるとしても、原告主張のような0.3ないし0.5μオーダーの塵が問題とされるようなものに限定されないと主張し、確かに、本願発明の特許請求の範囲には、そのクリーンペーパーが有する無塵性の程度を規定する文言はない。

しかしながら、前示「最新紙加工便覧」(甲第9号証の2)には、「紙ベース無塵紙に要求される品質特性としては、(1)シートを擦ったり揉んだり引き裂いたりしても紙から出る発じん(0.3μm以上)が少ないこと」(同979頁22~23行)との記載があり、上記程度の特性を備えていることがクリーンペーパー(無塵紙)ないしクリーンルームの要件であるとする当業者の共通の理解があったかのように見えないではなく、同文献の「近年、ICや超LSIなどの半導体産業、電子工業、医薬品製造工業・病院、精密機械工業などの最先端技術産業や食品工業の発展に伴い、クリーンルームの必要性が認識され、製品の歩留りや品質向上を図るうえで、クリーンルーム設備が製造工程での必要条件になった。さらに最近の半導体産業の急速な技術進歩により、・・・半導体部品を製造するクリーンルームは、その清浄度がクラス100からクラス10、クラス1となり、制御対象微粒子も微小化され、スーパークリーンルームが必要となっている。」(同号証979頁5~11行)との記載、同文献の発刊年月日(甲第9号証の4)及び甲第11号証の2により認められるクリーンルームの清浄度に関する米国連邦規格209Dが1988年に成立し、クラス1からクラス100000までの粒子濃度の基準が設けられていることに照らせば、各種産業上の特殊性とその時々の産業の発展状況に応じ、清浄度に対する要求は異なっていること、近時半導体産業分野で清浄度の要求水準が高まってきたことが認められる。

そうすると、本願発明の特許請求の範囲の記載をもって、無塵性の程度につき、一義的な限定があるものと認めることはできないけれども、少なくとも、本願出願当時問題とされていた程度の発塵性を防止し、実施例で達成されている程度の無塵性を有する紙を特許請求したものと解する余地はあり、この点の限定は、明細書の記載事項の範囲内において補充訂正せしめれば足りるものと解することができる。

したがって、本願発明は、特許請求の範囲の記載において不相当とのそしりを免れないけれども、この点はなお訂正又は補充が行いうる余地が残されているから、このことをもって、上記のように解する妨げになるものとは認められない。

(4)  そうすると、本願発明が用途を限定した発明であるとして、その進歩性につき、さらに審理を行うべきものと認められ、この点において審決は取消を免れない。

2  よって、原告の本訴請求は理由があるから、このを認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 三代川俊一郎 裁判官 木本洋子)

<以下省略>

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